御師の家について

御師の家とは

 富士山は昔から神様が宿る山と信じられ、富士山に登拝するため各地から人々が訪れていました。寺社に所属し、参拝者の案内や世話をしたりする人を御師といいます。富士吉田の御師は、富士山を神体として信仰するため、特定の寺社ではなく富士山へ信仰登山する人たちの世話や祈祷を行いました。そのため、「富士御師(ふじおし)」とよばれるようになりました。富士御師は、その参拝者に自らの住居を宿坊として提供していました。その宿坊を『御師の家』と呼びます。

御師の家の特徴

 御師の家には、代表的な特徴が5つ挙げられます。まず、1つ目は正面の「門柱」です。2つ目は門柱から先に、長い「タツ道」と呼ばれる細い道があります。3つ目は、タツ道の先に「中門(なかもん)」と呼ばれる門があります。4つ目は、中門をくぐると「ヤーナ川(間の川)」と呼ばれる川があります。5つ目の特徴としては、家の奥に「御神殿」があります。奥に行けば行くほど神聖な場所と考えられていたため、このような長細い造りとなったようです。

 ※後述の、「本御師と町御師」にてさらに説明しますが、「御師の家」全てがこのような特徴を持ち合わせているわけではありません。

御師の家の歴史

 「御師の家」は、富士講の開祖である長谷川角行(はせがわかくぎょう)の弟子たちによって少しずつ利用者が増えていくようになりました。6代目の食行身禄(じきぎょうみろく)や村上光清らの活躍はめざましく、江戸時代後期には隆盛を極めました。最盛期には夏の2ヶ月間で8000人もの人々が訪れるほどだったそうです。しかし、御師の家は第2次世界大戦以降衰退が始まり、廃業していくところが徐々に増えていくようになりました。現在では、大国屋と筒屋だけが営業をしています。

【下記画像は長谷川角行です】

本御師と町御師

 御師の家が多数存在していた場所に、新たに御師の家を営もうとする人々が現れました。その多くは、すでに営業をしている御師の家の分家の人々や、御師株を購入した百姓だったわけですが、すでに多くの御師が営業をしていたため、十分なスペースを確保することは難しい状況でした。そのためスペースを確保できなかった御師は、御師の家の特徴である「タツミチ」や「ヤーナ川」が存在せず、通りに面した場所にいきなり玄関という造りになりました。これらの御師は、町御師と呼ばれ、御師の家本来の姿を維持しているものと区別して呼ばれるようになりました。(本来の形を満たしているものを、本御師といいます。下記写真は本御師です。)

※御師の家が発展していくうちに営業するための権利が必要となったため、御師株を購入する必要があったそうです。

富士講とは

 富士講(ふじこう)とは、「長谷川角行」を開祖とした富士山信仰を意味します。室町時代に起こった富士講は、「食行身禄(じきぎょうみろく)」・「村上光清(むらかみこうせい)」の時に隆盛を極め、社会現象となるほどの人気でした。江戸時代、「江戸八百八講、講中八万人」という言い回しが存在するなど、多くの庶民に信仰された様子がうかがえます。

人気の理由

 富士講が江戸時代において隆盛を極めた理由は沢山ありますが、大きく分けると3つに分類することができます。まず1つ目の理由は、「食行身禄」の圧倒的なカリスマ性です。その当時には珍しい男女平等を訴えるなど、斬新な考え方が民衆の心を強く掴みました。また、「富士登山をすればするほど大願成就することができる」というわかりやすい考え方も受け入れやすい大きな要因となりました。2つ目の理由は、立地条件の良さです。江戸は、当時100万人以上の人がいたので、比較的容易に信者を獲得しやすかったようです。さらに、食行身禄の弟子である「北行鏡月」が教義をまとめたものを配布したことで、さらに人々の関心を集めました。3つ目の理由は、時代背景による民心の疲労です。富士講が流行した時代は、徳川吉宗が行った享保の改革と一致します。幕府は、財政が悪化したため民衆に倹約を求め、さらに今まで以上の年貢を強制しました。そのため、多くの人々が時代に不安を感じ大きな閉塞感がありました。それによって、人々は救いを求め富士講を信仰するようになりました。

富士山への登拝

 富士登拝の際には、「白装束」に「金剛杖」という出で立ちでした。白装束は、清らかな体を意味し、金剛杖は富士山そのものを表現したものだと言われています。(富士の峰を金剛杖の八角で表現しているなど、諸説あります。)そして、ある一定のところまで登ると、金剛杖を白い紙で包み上下逆さまにして、神聖なものとして取り扱ったそうです。富士講では、登頂することによって大願成就を目指していたわけですが、複数回登頂することは一般的だったようです。特に33回の登頂を行った際には特別なご利益があるとされていたため、登頂後は碑塔を建立しその成果を残しました(登頂回数の33については、西国三十三所巡りの影響ではないかと言われています)。現在もその碑は数多く残っており、富士みち(137号線の金鳥居交差点~上宿交差点)沿いや、浅間神社にて見ることが可能です。

木花開耶姫の伝説

 富士山の神・木花開耶姫(このはのさくやひめ)は「古事記」、「日本書紀」などに登場する日本の神様です。木花開耶姫は、天照大神の孫と恋に落ち一晩で子どもを身籠りました。しかし、夫の神様は「本当におれの子なのか」と疑いました。そこで、木花開耶姫は自分が浮気をしていないということを証明するために、産屋にこもり自ら出入り口に火をつけ、「無事に生まれたら、あなたの子どもです」といって出産しました。燃え盛る火の中で、3人の子どもを出産したため木花開耶姫は安産の神として崇められるようになりました。

 ※富士山の神様として、最初から木花開耶姫という名前があったわけではありません。詳しい理由はわかりませんが、今から300年ほど前から「木花開耶姫」という名前が定着するようになりました。

見学について

 現在、御師の家の多くが宿泊所としては営業をしていません。しかし、旧外川家住宅と小佐野家住宅(博物館の復元住宅)は、市によって公開されているため誰でも見学することが可能です。旧外川家住宅では、施設の方が細かい説明をしてくれるので、とても勉強になります。また、博物館の小佐野家住宅では、自動音声ガイダンスによるアナウンスがあるので同じく様々なことを学習することが可能です。

 詳細につきましては各施設にお問い合わせ下さい。

 
旧外川家住宅
住 所 山梨県富士吉田市上吉田3-14-8
電話番号 0555-22-1101
開館時間 午前9時30分~午後5時
観覧料 大人100円 小中高生50円
小佐野家復元住宅(富士吉田市歴史民俗博物館内)
住 所 山梨県富士吉田市上吉田2288-1
電話番号 0555-24-2411
開館時間 午前9時30分~午後5時
観覧料 大人300円 小中高生150円

おし街さんぽについて

 おし街さんぽは、金鳥居から御師宿坊の街並みを歩き、北口本宮冨士浅間神社までを案内するガイドツアーのことです。ガイド料金は1人あたり500円です(申し込み人数によって異なりますので、詳細は直接お問い合わせ下さい。)。ガイドさんが親切に詳しく教えてくれるので、富士吉田の歴史を勉強したい人におすすめです。

受付場所 インフォメーションセンター金鳥居茶屋
住所 山梨県富士吉田市上吉田1-10-15
電話番号 0555-24-8660
所要時間 1~2時間

 ギャラリー集です。大きな写真を見ることが出来ますので、見たい写真をクリックして下さい。

  • Q1 御師の家って一泊いくらだったの?
  •  400文です。現代の金額にすると10,000~20,000円くらいです。
  • Q2 江戸八百八講、講中八万人ってどういうこと?
  •  江戸の街の数ほど沢山の富士講があったということです。
  • Q3 金鳥居ってなに?
  •  俗世間と神聖な場所を分ける境界線です。
  • Q4 富士山に住む神様の名前は?
  •  木花開耶姫命です。ただし、時代によって様々な神様がいたと考えられていたようです。
  • Q5 御師の家の特徴は?
  •  門柱、立道、中門、ヤーナ川、神殿などがあることです。

 「御師の家」について初めて知ったのは4月頃でした。それからインターネットで御師についてしばらく調べました。しかし、思った以上に資料が少なく細かいことはほとんどわかりませんでした。そこで、夏休みを利用して御師の家の調査と取材を実施しました。御師のこと、富士山の歴史、信仰など地元にいながら知らないことばかりで新しい発見がいっぱいでした。今回御師の家について調べたことをホームページにまとめましたので、今後多くの方が御師や富士の魅力について調べるためのサイトとして活用してもらえたらうれしいです。

 最後に、このホームページを制作するにあたって多くの方にご協力をいただきました。本当にありがとうございました。

渡部 一哉